ゴーゴリ「鼻」について
1833年から1835年にかけて執筆され1836年に発表されたゴーゴリの「鼻」です。
これもまたゴーゴリらしいおかしな話です。
簡単なあらすじ
ある日理髪師が朝食を食べようとパンを切ったところ中から鼻が出てきます。
理髪師はそれが常連客である八等官コワリョフ氏の鼻だと気づきます。
理髪師は鼻を隠蔽するために川に投げ捨てます。
一方でコワリョフは目を覚ますと鼻がありません。
コワリョフは、顔を隠しながら街へ出ますが、ある家に礼服を着た紳士が入っていき、それが自分の鼻だと気づきます。
再び出てきた鼻を観察するとその鼻は五等官の位にあることがわかります。
その後コワリョフは、馬車で教会に行く鼻を尾行し、声をかけますが、しらを切られ、逃げられます。
その後もコワリョフはなんとか鼻を探す手立てを考えようとしますが、巡査が来て鼻が見つかったことを伝えます。
確認してみると確かに自分の鼻だったので大変喜びました。
しかし、鼻をくっつけようとしてもくっつきません。医者も呼びましたがダメでした。
そのうちコワリョフの鼻が毎日3時きっかりにネフスキー通りを散歩するという噂が立ち、それ見ようと群衆ができるようになりました。
しかし、あるとき鼻は何事もなかったかのように元の場所に戻り、コワリョフも何事もなかったように遊ぶようになるのです。
感想
あらすじ書いてはみましたけど、しょうもなさすぎて全然うまく書けないし、多分読んでもあらすじよくわかんないですよね笑
鼻がいきなりパンから出てくるのも意味わからないし、鼻が五等官の服装して普通に出歩いてるのもそれをみて自分の鼻だって気づくのもわけわからな過ぎませんか?笑
鼻も川に投げ捨てたって書いてあるのに、普通に見つかってますしね、、、
とにかくすべてがよくわからないおかしな話でしたね。
ゴーゴリ「外套」について
1842年出版のゴーゴリの「外套」(原題:Шинель)です。
これもそのうちどっかでレポートとかで自分が使うかもしれないのでここにメモっておきます。
この話は、ゴーゴリ作品で初めて読んだ作品で、それまで読んだトルストイ作品とかと違ってすごくおかしな話でしたね。
簡単なあらすじ
主人公のアカーキイ・アカーキエヴィッチは下級役人の清書係として働いている中年?の男性です。
彼はいつもボロボロの外套を着ていて同僚たちからバカにされていますが、ただ純粋に字のことを考えるのが好きなので仕事を嫌なものと思わずに続けています。
あるときアカーキイ・アカーキエヴィッチは、(すでに継ぎ接ぎだらけの)外套をさらに直す必要があると思い、仕立屋のもとを訪れます。
しかし、仕立て屋に外套を見せたところ、「これはもう繕えない。新しい外套を新調するのがいい。」と言われていしまいます。
外套を新調するには、アカーキイ・アカーキエヴィッチにとって大変な額のお金がかかるので、それを渋りましたがなんとか費用を捻出して新調することに決めました。
それからアカーキイ・アカーキエヴィッチは、どんな素材を使うのか、どんな外套にするのかということを仕立て屋に頻繁に相談しに行き、そのことばかりを考えるようになりました。外套の完成を待つのが新しい楽しみとなったのです。
そしていよいよ満足のいく外套が新調され、それを着て職場に行くと同僚たちからは祝福され、上司にパーティーを開いてもらうことにもなりました。
そうしてアカーキイ・アカーキエヴィッチは、意気揚々と街を歩くようになりますが、しばらくした冬の寒い夜に、追い剥ぎにあって外套を取られてしまいます。
アカーキイ・アカーキエヴィッチは、追い剥ぎを探すように警察長官や役所の有力者に頼み込みに行きますが、まともに取り合ってもらえません。
そうしてアカーキイ・アカーキエヴィッチは、極寒の中外套無しで歩き回っていたので、病気になってしまい、悲嘆のうちに死んでしまいます。
その後ペテルブルグでは、アカーキイ・アカーキエヴィッチが盗まれた外套だと言っては、あらゆる人々から外套を剥ぎ取る幽霊として現れるようになった。
感想
悲しい中にもユーモアがあって、面白いと思いました。短いですし、ロシア文学に馴染みがない人が読んでも楽しめると思います。
ロシアは寒いのでやっぱり外套は大事ですよね。
あらすじだけ話すとただロシア人が無慈悲なひどい奴らみたいな感じになっちゃいますけど、この時代庶民に今みたいな人権なかったのは日本でもどこの国でも一緒ですからね!この作品出版されたの日本でいえば黒船来航する10年前ですからね!
トルストイ「光あるうちに光の中を歩め」について
トルストイの「光あるうちに光の中を歩め」(執筆時期不明、原題:ходите в свете пока есть свет)は、キリスト教の説話的な話で僕は割と好きな作品です。
簡単なあらすじ
舞台は原始キリスト教時代の古代ローマ。キリスト教がまだ異教だった時代です。
主人公のユリウスは、裕福な商人の家の子で、かつてその家の奴隷だった人の息子のパンフィリウスというお友達がいます。
二人は15歳になるとき一緒に哲学者の元へ修行へ出されました。しかし、卒業一年前にパンフィリウスは母と二人で小さな町に移らなくてはならなくなったため、学校を去ることになりました。
そこでパンフィリウスは自分と母親がキリスト教徒であることをユリウスに告げ、ユリウスを誘いました。しかし、ユリウスは「キリスト教徒は子供を殺して食べる」というような悪い印象をキリスト教徒に待っていたので断りました。
ユリウスはその後裕福な青年の習慣に従い、多くの奴隷を使い、放蕩に明け暮れました。ユリウスは金を使いすぎて不足した金を金持ちの父や母に請求しました。息子に甘い母は父に息子を許すように言いました。そして、金持ちの娘と結婚することを条件として出しました。
家を出て行ったユリウスは、パンフィリウスのことを思い出し、いっそキリスト教徒の元に去ってしまおうかと考えます。そしてキリスト教徒の共同体へ向かっていきます。
道の途中で一休みしようとしたところ一人の男に会います。
その男に事情を話すと「若い衆、そんな考えは実行しない方がよい。」と言い、キリスト教の矛盾を説き始めます。男の長い話はユリウスを説伏し、ユリウスは家に帰り父の条件通り結婚することにしました。父の事業の一部も引き継ぎます。
その後あるとき街に商用で出掛けたとき、パンフィリウスがキリスト教徒の娘と二人ずれで街を歩いているのを見かけます。ユリウスとパンフィリウスはここで互いの生活状況などを話し、幸福や結婚について議論を始めます。(ここが長い)
それから10年が過ぎます。その間二人が会うことはなく、ユリウスの商売は成功し、公職にも携わるようになりました。
ユリウスは怪我で3ヶ月床に着くことになりました。その間看病してくれていた女奴隷はキリスト教徒でパンフィリウスのことを全て教えてくれました。(彼が仲間のうちで最も優れた兄弟の一人でたくさんの敬慕を集めていたとか)
それを聞きユリウスはじっくり考えてキリスト教徒たちのもとへ行くことを決意します。
その翌日医師が診察に来ました。その医師こそ、ユリウスがキリスト教徒のもとへ行こうとしたとき出会った見知らぬ男だったのです。
ここでまた議論が繰り広げられ、ユリウスは説き伏せられてしまいます。
あるとき、ローマ皇帝の方策でキリスト教弾圧が行われることになり、パンフィリウスがユリウスのもとへ訪れ、またまた長い議論が行われます。
その後さらに12年経ち、ユリウスの財産は莫大な高にのぼります。しかし、妻は死にユリウスと息子とたちは不仲になり、ユリウスの地位は他の太守に奪われます。
ユリウスはそれまでのパンフィリウスの言葉などを思い出し、キリスト教徒たちのもとに向かいます。1日歩き続け宿をとったユリウスは医師と三度目の出会いを果たします。
今度こそユリウスは説き伏せられずにパンフィリウスのもとに行くことができ、教徒たちから歓迎されます。
翌朝ユリウスは、そこでの自分の仕事を探すために葡萄畑を訪れますが、働いているのは若い人ばかりで、「おれはもう何の役にも立たない。いまさら何にもすることはできない」と老人になるまでここ行なかったことを悔みます。
そこに一人の老人が現れ、自分たちにもできることはあるということを教えてくれます。その後ユリウスはそこで力が及ぶ限り働きながら20年暮らし、死を迎えます。
感想
後期のトルストイは「二老人」みたいな説話が多いんですけど、この作品もそれに分類されると思います。
あとこの時期のトルストイといえば「クロイツェルソナタ 」とか「イワンイリッチの死」みたいなある人の半生を描いた作品も僕はすごく好きで、この作品もその手法が使われているので、すごくトルストイらしい作品だなと思いました。
途中所々で出てくる長い議論はキリスト教徒じゃない僕には正直ピンとこない話ですけど、一番最後に「光あるうちに光の中を歩め」という言葉でユリウスが救われる終わり方はとても綺麗だと思います。
プーシキン「大尉の娘」について
今回は1836年発表のプーシキンの小説「大尉の娘」(原題 : Капитанская дочка)です。
これは宝塚の「黒い瞳」ってやつですね。
「オネーギン」は韻文小説でしたけどこれは散文小説です。
あらすじ
退役軍人の息子である主人公グリニョーフはついに軍務に就く年齢になり、ペテルブルグでの楽しい生活を夢見ていたが父の計らいにより地方勤務になってしまう。勤務先に移動する際泊まった宿でズーリンという軍人と知り合い、その後大雪の中であるコサックに道案内してもらい、そのお礼にそのコサックに酒と長外套を与えた。グリニョーフの勤務先はオレンブルグ近郊にあるベルゴールスク要塞という小さな村のような要塞でイヴァン・グジミーチという大尉が司令官を務めていた。そこでグリニョーフは、決闘で人を殺したことで飛ばされてきたシヴァーブリンと大尉の娘のマリヤと仲良くなる。グリニョーフは、最初シヴァーブリンから大尉の娘のマリヤはしょうもない奴だということを聞かされいたのでマリヤのことをよく思っていなかったが、次第に仲良くなり恋心を抱くようになった。ある日シヴァーブリンに自分の詩を披露すると馬鹿にされたので喧嘩になり決闘することになった。実はシヴァーブリンはグリニョーフが着任する前にマリヤに結婚を申し込んだが断られていたためマリヤとグリニョーフが親しくなるのが嫌だったのだ。司令官たちの制止を無視して決闘を行った結果グリニョーフは怪我負ってしまい、それが親にも伝わってしまう。弁解しようとマリヤとの結婚を考えていると手紙を送ったが父親に猛反対され勤務地を移されそうになってしまう。グリニョーフとシヴァーブリンは閉じ込められていたが、プガチョフが皇帝を名乗って反乱を起こし、近くまでその手が迫っているという報告を受けてそれに対処するためグリニョーフたちも会議に加わることとなった。マリヤを他の街に移そうとしたが、すでに要塞の周りは包囲されており出来なかった。その後プガチョフの軍と戦うが敗れてしまい、シヴァーブリンはプガチョフ側に寝返り、司令官とその妻、グリニョーフ以外の将校たちは殺されてしまう。幸いにもマリヤは神父の姪だと嘘をつくことで難を逃れた。また、プガチョフはかつてグリニョーフが酒と長外套を与えたコサックであり、プガチョフはサヴェーリイチをみてすぐにグリニョーフだと気づいたためグリニョーフは処刑されなかった。グリニョーフはプガチョフの許しを得てオレンブルグに逃れるが、プガチョフは占領した要塞の新しい司令官としてシヴァーブリンを任命し、マリヤも神父の元に残されたままだった。グリニョーフはマリヤから助けを求める手紙を受け取り、オレンブルグの将軍に掛け合うが援軍は得られなかった。グリニョーフは一人で助け出すため、サヴェーリイチと要塞に向かうが途中でプガチョフの軍に捕まってしまう。グリニョーフはプガチョフに要塞に向かう理由を聞かれ70%くらいの事実を答えることで信用を得て一緒に要塞に向かうことになる。プガチョフはマリヤを監禁していたシヴァーブリンに怒り、グリニョーフにマリヤと他所へ逃れることを許す。二人は要塞を後にし、グリニョーフの実家を目指すが、途中で女帝側の軍にプガチョフ側の者だと思われ逮捕されてしまう。そこの将軍はかつて宿で出会ったズーリンだった。ズーリンをなんとか事情を説明し、マリヤとサヴェーリイチを実家に向かわせグリニョーフはズーリンと共にプガチョフ軍と戦うことになった。その後プガチョフ軍は敗れプガチョフたちは逮捕されるが、やっと実家に帰れると安堵していたグリニョーフもプガチョフに加担した疑いで逮捕されてしまう。グリニョーフは真実をすべて話せば弁明できたが、マリヤを巻き込まないために弁明を諦め、シベリアへの永久流刑が決まってしまう。マリアは自分のせいでグリニョーフがそうなってしまったことに気づき、一人で女帝に申し立てしに行こうとする。そこでマリアは一人の女性と出会い事情を全て話すが、実はその女性が女帝でありマリアの願いは聞き入れられ、グリニョーフは許され、二人は結婚した。
特徴・文学史上の意義
プーシキンはもともとプガチョフの反乱に関心があったらしくて「大尉の娘」執筆前に「プガチョフ史」っていう歴史書?を書いていたらしいです。
この作品ではプガチョフは結構主人公助けてていい人っぽく描かれているんですけど、そういうところからプーシキンが本当はプガチョフのことをどうみていたのかわかるかもしれません。
またこの作品は、明治時代日本で最初のロシア文学の翻訳「露国奇聞 花心蝶思録」として日本に持ち込まれました。
聞いた話によるとグリニョーフがジョン・スミスになっていたりシヴァーブリンがダントンだったり登場人物の名前がイギリス人風に改変されているんだとか、、、笑
感想
これはなんか露文科の指導教授が翻訳出したとかで授業で扱われたんですけど、すごく読みやすくて面白かったです。
「オネーギン」読んだときは正直最初の方つまんなかったんですけど、これを読んで改めてその面白さが分かったような気がします。
この作品は僕にロシア文学の違う見方を与えてくれましたね。
マリヤもタチヤーナみたいなTheお嬢様って感じでした。田舎の令嬢っていうのも一緒ですね。僕は好きです。
シヴァーブリンは気づいたら敵側にいるっていう、、、笑
変わり身早すぎて逆に面白いですね。
なんかこの作品所々でギャグ要素あるんですよね笑
プーシキン「オネーギン」について
1832年に執筆し終えたプーシキンの韻文小説「オネーギン」(原題:Евгений Онегин)ですね。
露文科の授業で最初に読まされた本です。
簡単なあらすじ
遊蕩児のオネーギンはペテルブルグの社交界で遊び歩いていたが、ふさぎの虫となり興味 を失ってしまったため社交界を去り、田舎の領地に移り住むことにした。そこでは、レン スキーという若い詩人と友人となり、毎日のように一緒に語り合い遊んでいた。レンスキ ーは隣村のオリガという令嬢に恋していた。オリガには、タチヤーナという姉がいてオネ ーギンはレンスキーとともにこの姉妹に会うことになる。タチヤーナはオネーギンに一目 惚れしてしまい熱い恋文を送る。しかしオネーギンは、タチヤーナの誘いを断り批判をす る。その後、タチヤーナは悲しみに暮れるがパーティーで再開することになる。そのパー ティーではオネーギンがオリガに対し思わせぶりな行動をとり、それを見たレンスキーが 激怒してしまう。レンスキーはオネーギンに対し決闘を申し込みオネーギンもそれを受け 入れる。その結果オネーギンはレンスキーを打ち殺してしまう。その後オネーギンは村を 去り各地を放浪する。すぐにオリガはレンスキーを忘れ、他の男性に惹かれ結婚して家を 出たが、タチヤーナはいつまでもオネーギンを忘れることができず塞ぎ込んでいた。その 後タチヤーナは家族の提案でモスクワに行くことになり、社交界で遊びまくる。数年後オ ネーギンも放浪を終え社交界でタチヤーナと再開する。しかし、タチヤーナはすでに結婚 しておりオネーギンはタチヤーナに告白するがフラれてしまう。
特徴・文学史上の意義
プーシキンはロシアの近代文学の父と言われていてレールモントフやトルストイ、ドストエフスキーなどの後の多くの作品に繋がるまさに露文科必修って感じの作品です。
また、この作品の主人公オネーギンは19世紀のロシア文学が産んだ典型的人間象である「余計者」の最初の一人とされています。
また、ヒロインのタチヤーナもロシア文学における美しい女性像の源流になっています。
ロシア文学では、都会の男と田舎の令嬢の恋愛の物語多いイメージ勝手に持ってるんですけどまさにそれですね。
タチヤーナは、チェルヌイエフスキー「何をなすべきか」のヴェーラ・パーヴロヴナみたいな貧乏人(失礼)と違って田舎の金持ちの家で大事に大事に育てられてきたので本当に大人しくてお嬢様って感じでいい子です。(ちなみに僕はヴェーラ・パーヴロヴナがめちゃめちゃ嫌いです。)
僕はロシア語苦手なのでよくわからないですけど、オネーギン連という詩の文体が使われていてそこも重要ポイントらしいです。
感想
この作品はとにかくタチヤーナが可愛い!僕が結婚したい
妹のオリガは、殺されたレンスキーのことなんてすぐ忘れて他の男と結婚してましたけど、タチヤーナは一途で健気な子です😢
あと僕はトルストイの「アンナ・カレーニナ」みたいな不倫小説が好きなので結末変えて不倫する方向に持って行ったら絶対面白いと思うんですよね。
まあ、そういう意味でトルストイの「アンナ・カレーニナ」は「オネーギン」の派生作品って感じもしますね。きっとトルストイも僕と同じことを思ったに違いない!
レールモントフ「現代の英雄」について
1840年ミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフが発表した小説「現代の英雄」(原題:Герой нашего времени)についてここにメモっておきます。(いつか僕がレポートで使うかもしれないので)
この作品は、雑誌「祖国雑記」に別々に掲載された五つの話が長編小説としてまとめられたものです。
簡単なあらすじ
第1章「ベラ」
この物語の語り手である「私」が、老二等大尉マクシム・マクシームイチから主人公ぺチョーリンの話を聞かされる。マクシームイチのいるN要塞に若い上官ペチョーリンが赴任する。ペチョーリンは、土着の豪族の娘であるベラに心惹かれ、彼女のいたずら好きな弟を利用して強引にベラを手に入れる。ベラを保護するという名目で要塞の中に閉じ込め同棲生活を送る。ペチョーリンは、ベラに毎日贈り物をし、ベラも次第にペチョーリンに心を開いていき愛し合うようになる。しかし、ベラはペチョーリンと同じくベラに恋をしていた土民の青年によりさらわれ命を落としてしまう。
第2章「マクシム・マクシームイチ」
ウラジカフカスで足止めを食らった「私」とマクシームイチが再会する。そこになんとペチョーリンも滞在しているということを知り、マクシームイチは、数年ぶりに親友に会えると大喜びするが、ペチョーリンと会うと冷たくあしらわれてしまう。ペチョーリンはロシアからペルシャに去り、その後「私」はいじけたマクシームイチにペチョーリンの手記を貰う。ペチョーリンの手記の前書きでは、ペチョーリンがペルシャからの帰途に死亡したことと「私」が手記を公表しようと思った理由が書かれている。
第3章「タマーニ」
たまたま密売人たちの家に宿をとってしまったペチョーリンが密売の現場を目撃し、密売人の女に殺されそうになる。
第4章「公爵令嬢メリー」
温泉地ピチャゴールスクへ保養のために来たペチョーリンが、かつても友人であり、足に負った怪我の保養出来たグルシニッキーと再開する。グルシニッキーは、そのときちょうどモスクワから来ていた公爵令嬢メリーに恋をしていた。ペチョーリンは、メリーに対して一見冷淡な態度を見せながら彼女の心を征服してしまう。怒ったグルシニッキーは卑怯なトリックを用いてペチョーリンに決闘を申し込むが、裏をかかれて命を落としてしまう。その真相に感づいた当局によりペチョーリンはN要塞に転勤になり、メリーに別れを告げた。
第5章「運命論者」
ペチョーリンが戦線の左翼にあるコサック村に滞在した際、将校たちは運命が存在するのかについても議論で盛り上がる。賭博が好きな将校ヴーリチに対してペチョーリンが、「君はもうすぐ死にますよ」と予言するとヴーリチは帰り道で酔っ払ったコサックに切られ本当に死んでしまう。ペチョーリンは引き籠った犯人を命がけで生け捕りにする。
特徴・文学史上の意義
この作品の主人公ペチョーリンの名は、ウラル山脈に源を発するペチョラ川に由来していて、この命名はプーシキンの「オネーギン」を意識しているとされています。オネーギンの名前はオネガ川から取られています(光文社「現代の英雄」P.27注)。また、作者は彼を「精神の不具者」、「われわれの世代の諸欠点のポートレート」と呼んでおり、ペチョーリンは「オネーギン」の主人公と繋がる余計者であるといえます。
この作品は、発表された当時からとても評価が高く多くの研究がなされてきました。その中で例を挙げるとまず視点の問題があります。
第1章ではマクシム・マクシームイチお語りが中心となり、第2章のペチョーリンの手記の部分ではペチョーリンの語りになります。また、自称旅行作家の「私」の語りが所々で入ります。
前半のマクシームイチの語りでは、「じつに好青年でした、まちがいなく。ただ、少々変わっていましたね。たとえば、雨の日や寒い日に一日中狩りに出て、みんな凍えてぐったりしているのに、ところがこの男だけはなんともない。そうかと思えば、部屋のなかにひきこもって、ちょっと風が吹いただけで、風邪を引いたなどと言い立てる。鎧戸ががたがたいうと、ぶるぶる震え出して、血の気がひいてくるんです。」(光文社p.26)というようにペチョーリンが捉え所のない変わり者であることが述べられています。
また、ウラジカフカスで、ペチョーリンとマクシームイチが再開する場面では、ペチョーリンがとても冷酷な人間であるという印象を読者に与えていますが、ペチョーリンの手記では、冒頭部分「タマーニ」で泳げないという欠点が描かれているなど、読者はペチョーリンの人間らしい一面を知ることになります。手記を読めば先程の記述もペチョーリンは己のうちに引きこもって、過去のできごとを憤怒や悔恨とともに思い出していると見ることができるのです。
他にも、ペチョーリンの変わった性格造形や登場人物たちの演劇性、ペチョーリンの反逆性などについても多くの研究がなされています。(長い文を書くのは苦手なので省きます)
感想
僕は、光文社の高橋知之訳を読んだのですが、とても読みやすかったし面白かったです。
まるで掴みどころがなくて令嬢たちを虜にしちゃうペチョーリンかっこいいですね!社交界とかも参加してみたいです!
あと情景描写も綺麗でこれ読んでコーカサス地方に旅行に行きたくなりました!この作品とは関係ないですけどアゼルバイジャンの首都バクーとか楽しそうですよ
東京ディズニーシー・ホテルミラコスタについて
七夕前日の7月6日にお茶の水女子大学文教育学部言語文化学科英語圏言語文化コースのお友達と2人でディズニーシーとミラコスタに行ってきました〜(*´ω`*)
人生初ミラコスタ!
1週間くらい雨降ってたんですけど奇跡的にその日は雨振らなくて良かったです☺️
お友達に盛れてる写真たくさん撮って貰いました〜(*^^*)
ランドと違ってBGMとか雰囲気とか落ち着いた感じで僕はランドよりシーの方が好きです☺️
でも絶叫系苦手なのでずっとお友達の手握ってました笑
3ヶ月前一緒にディズニーランド行った時ホテル泊まりたいってボソッと言ってたので今回はミラコスタに泊まってみました!
ミラコスタは15時からチェックイン出来るのでちょこちょこホテルで休憩してました
部屋はヴェネツィアサイドで部屋の中と景色はこんな感じでした〜(*´ω`*)
タワーオブテラーがご近所さんです(*`ω`*)
夕食はルームサービスにしました!コロナ禍でも時間気にせず食べれるのでルームサービスはいいですね☺️
ルームサービス9時半からだったのでそれまで優雅に部屋でお茶飲みながら読書しました(*´ω`*)
朝もいい目覚めでした!
朝食はオチェーアノのビュッフェにしました!めっちゃ美味しかったし優雅な朝でした(*^^*)
開園前の誰もいないディズニーシーも見れました☺️
この日は七夕だったのでホテルから浴衣着てるスタッフさんたちが見れました(*^^*)
朝食の後はチェックインの12時まで部屋でゆっくりして午後は「テルメ・ヴェネツィア」というプールに行きました!
今回は全然人いなくて快適でした!夏は外のプールも使えるみたいです(*^^*)
全然どうでもいい話ですけど、ミラコスタの石鹸の容器は叙々苑と一緒でした(*´ω`*)
その後は池袋に戻って夜まで2人でダーツしたりプリクラ撮ったりしました(*´ω`*)
濃い2日間をありがとう!