狐は豚に貢ぎたい

露文徒の雑記

ゴーゴリ「外套」について

1842年出版のゴーゴリの「外套」(原題:Шинель)です。

これもそのうちどっかでレポートとかで自分が使うかもしれないのでここにメモっておきます。

 

この話は、ゴーゴリ作品で初めて読んだ作品で、それまで読んだトルストイ作品とかと違ってすごくおかしな話でしたね。

簡単なあらすじ

主人公のアカーキイ・アカーキエヴィッチは下級役人の清書係として働いている中年?の男性です。

彼はいつもボロボロの外套を着ていて同僚たちからバカにされていますが、ただ純粋に字のことを考えるのが好きなので仕事を嫌なものと思わずに続けています。

あるときアカーキイ・アカーキエヴィッチは、(すでに継ぎ接ぎだらけの)外套をさらに直す必要があると思い、仕立屋のもとを訪れます。

しかし、仕立て屋に外套を見せたところ、「これはもう繕えない。新しい外套を新調するのがいい。」と言われていしまいます。

外套を新調するには、アカーキイ・アカーキエヴィッチにとって大変な額のお金がかかるので、それを渋りましたがなんとか費用を捻出して新調することに決めました。

それからアカーキイ・アカーキエヴィッチは、どんな素材を使うのか、どんな外套にするのかということを仕立て屋に頻繁に相談しに行き、そのことばかりを考えるようになりました。外套の完成を待つのが新しい楽しみとなったのです。

そしていよいよ満足のいく外套が新調され、それを着て職場に行くと同僚たちからは祝福され、上司にパーティーを開いてもらうことにもなりました。

そうしてアカーキイ・アカーキエヴィッチは、意気揚々と街を歩くようになりますが、しばらくした冬の寒い夜に、追い剥ぎにあって外套を取られてしまいます。

アカーキイ・アカーキエヴィッチは、追い剥ぎを探すように警察長官や役所の有力者に頼み込みに行きますが、まともに取り合ってもらえません。

そうしてアカーキイ・アカーキエヴィッチは、極寒の中外套無しで歩き回っていたので、病気になってしまい、悲嘆のうちに死んでしまいます。

その後ペテルブルグでは、アカーキイ・アカーキエヴィッチが盗まれた外套だと言っては、あらゆる人々から外套を剥ぎ取る幽霊として現れるようになった。

 

感想

悲しい中にもユーモアがあって、面白いと思いました。短いですし、ロシア文学に馴染みがない人が読んでも楽しめると思います。

ロシアは寒いのでやっぱり外套は大事ですよね。

あらすじだけ話すとただロシア人が無慈悲なひどい奴らみたいな感じになっちゃいますけど、この時代庶民に今みたいな人権なかったのは日本でもどこの国でも一緒ですからね!この作品出版されたの日本でいえば黒船来航する10年前ですからね!

 

 

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